うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

つらいとき登る坂道

先日身内の不幸があり、急に仕事を休んで帰省した。

亡くなった身内というのがちょっと普通ではない人物で、家族に多くの精神的ダメージと迷惑と手間をかけ続けていたし、充分長生きしたので、ホッとしたというのが本音だ。どんな迷惑をかけていたか……というのは、誰彼構わず自慢話をする、人を傷つけることを平気で言う、人が大切にしているものを一時の感情にまかせて壊す、などということだ。詳しく書いたらきりがないし、不快な内容なので書かないでおく。楽しい思い出がないことだけは確かだ。

 

昨日までは精神的に落ち着いていたのだが、帰省後初出社の今日、色々なことがありすぎて一気にどん底に落っこちてしまった。

 

午後、長時間の会議の予定があったので、会議の場所に移動した。すると、急に昔の辛かった経験を思い出した。

一度はこのブログにも書いたと思うが、中学生の頃、私が描いた絵を見た母親が「これはあなたが描いた絵じゃないんでしょ?あなたはこんな絵描かないよね」と言ってきて、「そうです、私が描いたんじゃないです」ととっさに嘘をついたことだ。

こういう嫌な思い出を急に思い出してしまうことは少なくないので、またか……と思っていたところ、会社の偉い人に声をかけられた。私が仕事を休んだ理由を知って、私を気遣おうとしてくださったらしい。ご自分が家族を亡くしたときのことを話してくださった。しかし、私は今回亡くした身内に対していい思い出があまり、というかがんばって探しても全くない。ホッとした以外にも、これ以上この人物のせいで家族が苦しむことはないのだ……と解放されたようにも思っている。そこへ、勝手に、大切な人を亡くしたときの体験を話されてしまった。「私は今回の故人をそんなに立派に悼んでいるわけではない」と言うこともできず、聞くことしかできなかった。

「家族が亡くなったんだから悲しいよね」というのは当たり前の前提だし、自分を気遣ってくれているのは分かるけれど、自分は今どう考えても悲しみの淵に沈んでいるわけではない。人の死に際して、「終わった~」という脱力に似た感情を覚えている。相手の気持ちはありがたいのだが、どうも割れたクッキーに違うクッキーをくっつけようとしているというか、合わないパズルのピースを「合うよね!」と無理矢理はめ込まれたような気持ちになった。

今回は自分がおかしかったとも思うし、どうすればよかったのか、よく分からない。

 

実は今日の会議に出席するはずだったが、体調不良で早退して出席できなかった人がいた。 会議終了後、同じ部署の人が、早退した人について、電話で話していた。

「大事な会議があるのに早退するってどうかと思う、体調管理がなっていない」というなことを話している。普段から他人を攻撃する人ではないが、隠れて悪口を言うようなところはある人だった。それにしても、誰の悪口を言っているのかハッキリ分かる状態で、その人に対する不満・愚痴を堂々と話すのを見るのは初めてだった。

自分が休んでいるときにもこんなことを言われているのかも……と思うと、自分の悪口が言われているわけでもないのに、急に涙が出てきてしまった。

とりあえず落ち着くまで席を外そうと思い、お手洗いに行って席へ戻った。すると、今度は別の人と直接、早退した人についての不満を話していた。

「前から思ってたけど、あの人ちょっと弱いとこあるよね」

「頭痛いって言ってきたりしたし……」

これ以外にも、 目の前に本人がいないからといって、誰のことを話しているのか分かる人たちの前でそこまで言うか?というレベルの愚痴をたくさん話していた。

自分は職場で仕事をうまく進められる人ではないし、今回葬祭で休むときにも色々な仕事を上司に押しつける形になってしまった。こんな風に大きな声で悪口を言われていたかも知れない。

打ち合わせ中の人に対して休んだお詫びのお菓子を渡すタイミングも考えねばならないし、自分よりも辛い目(この悪口を面と向かって言われたり、居づらい空間に居続けたりする)に遭っている人もいるのに、それに比べたら全然悪くないこの状況に耐えられないのはおかしいと思ったり、いろいろな考えがめぐってしまい、やっぱり涙は止まらなかった。

 

家に帰る途中、近道をすると、長い坂道がある。自転車通勤の私は、その坂道を自転車を押して登る。

街灯が少ないので、いつもは近道を選ばない。追い込まれているときはすぐ家に帰りたいので、近道をする。だが、この坂道を登るのが一番辛い。涙が止まらなくなる。

今日もその坂道を泣きながら帰ってきた。

今日の経験をまだ整理できていないので、文章にするだけして、あとは時間が経つのに任せようと思う。ただ、自分が矢面に立たされているわけでもないのに涙が出てしまうのはおかしいと思うので、治せないか、病院に相談してみるつもりだ。

普通か、普通ではないのか

 先日、思うところがあって精神科を受診しました。医療機関や薬を悪と決めつけたり、つらい症状への対処法などの文章ではないことを踏まえて読んでください。あまりにも軽微な症状で悩んでいるケースだと思うので、もしも「自分はもっと辛い思いをしたんだけど……」と思った方は、読むのをやめてください。

 

思うところがあって……というのは、仕事に集中できないことがあまりにも多いことだ。すぐ違うことで頭がいっぱいになってしまう。何か一つ分からないことや、思いつかなくて躓くと、そこからどう進んでいいか分からなくなってしまう。

それによって仕事に遅れが出るときも、早く報告すればいいのに、それができない。遅れそうだという判断をするかどうか?という判断まで、たどり着かないからだ。報告した方がいいという判断をしても、「怒られるのでは?」と思うと、そのアクションが起こせない。これらの出来事を自分で振り返るうち、「普通の人はこんなことで悩まないのではないか?」と思うことが増えた。もし、「普通」ではないと分かったら、何かで治せるのではないか、と思った。

 

仕事をするうえで困っていることを詳しく話して受診した結果、こういう症状なのではないか?というところまでは分かった。しかし、詳しい検査は年内には受けられないほど予約でいっぱいらしい。

「薬に抵抗があるようでしたら、最初は薬を飲まずに……」

と優しそうな先生が言ってくださったが、薬を飲まないと何も変わらないのではないかと焦り、

「薬を出してください。飲みます」

と言ってしまった。最初から強い薬は出さないと説明を受けて、副作用として吐き気がある薬を出していただいた。吐き気止めも一緒に出していただいた。

「副作用が出てしまったらもったいない気はするんですけど」

といいながら、1ヶ月分。

 

薬を飲み始めた翌日、お腹の違和感で目が覚めた。気持ち悪いわけではなく、膨張感がある感じだった。それから食欲は全くといっていいほどなくなってしまい、朝も早い時間にお腹の違和感で目が覚める。代わりに日中とても眠くなり、仕事の効率は前よりも悪くなった。

副作用が出ても、薬の効果が出るまではしばらくかかるので飲み続けてくださいと言われていたが、正直、こんな風に辛くなるとは思ってもいなかった。数日耐えてやっと「薬の副作用ではないか」と気がついた。ありがたいことに、友達も、病院に連絡した方がいいよ、とアドバイスをくれた。

しかし、諸事情で主治医の先生と相談できるのは数日後だという。悪いことは重なるもので、薬局も数日間の臨時休業に入ってしまった。つまり、誰にも相談できなくなってしまった。ネットで薬の名前を検索したら、どうやら薬の服用をやめるときにも特有の症状が出ることがあるらしく、工夫が必要らしい。

副作用が少ない薬で安心です、という説明を受けて、あまりにも簡単に薬を飲む決断をしてしまったことを、正直後悔した。

 

精神科で処方される薬について無知なまま精神科にかかり、処方された薬を飲み始めてしまったな……というのが正直な感想だ。

今の状態よりも少しでもよくなるなら、と新しい扉を開けたら、その先には今までとは違うジャンルの苦しさが待ち受けていて、それを乗り越えないとよくならない、またはよくなるかどうかわからないという。

そんなことなら今のままでいい、と思ってしまう。前は仕事中どれだけ頭の中が散らかっていても夜は眠れて、ご飯はおいしかった。

 

精神科で「自分が普通の状態かどうか知りたくて受診したのですが……」と伝えたら「普通だと思いますよ」と言っていただけた。そのときは(いや、明らかに自分の中では異常の域だ)と思ったけれど、薬を飲んでいなくても生きては来られたからいいか……という気持ちに落ち着いてしまった。精神科にかかる前、悩んだり、仕事ができなかったりして辛かったのは事実だけれど、それとは別のジャンルの苦しみがかけ算のように加わって、今はもっともっと辛い。

薬を飲み始めてから眠りが浅いせいか、今まであった起きがけのだるさやぼんやり感がなくなったのだけは嬉しいけれど、今の私なら、薬以外の方法でなんとかやっていけないかな、と思う。

 

主治医の先生に連絡がつくようになったら、すぐ相談しようと思います。今日はここまで。

ウォークマンの思い出

長年使っていたウォークマンがとうとう壊れてしまった。

 

どれくらい長く使っていたかというと、かれこれ10年ほどになるだろう。中学生の頃、両親が「クリスマスプレゼントにほしいものを考えておいて。何でも好きなのを買ってあげるから」と言うので、ウォークマンがほしいと言った。そうしたらなんと、「ほかのものにしてほしい」と言われてしまった。子どもながらに「言っていることとやっていることが違う」と違和感を覚えたが、口答えすると居場所がなくなる家庭(子ども部屋がなく、自分が作った気まずい空気の中で過ごすことになる)だったので、何も言えなかった。

代わりに、正月にお年玉をもらったあと、家電量販店に連れて行かれた。正月特価で安くなっているウォークマン。お年玉で買うならOK、ということである。それならクリスマスに買ってくれたってよかったじゃないかとやっぱり腑に落ちなかったが、ともあれウォークマンを手に入れた。色はセルリアンブルーにした。

それからというもの、勉強のお供に、外出時に車の中で流れる親好みの音楽が気にくわないときに、旅先でなかなか眠れない夜に……大活躍であった。音楽を楽しむほかにも、小さな音で音楽を流しながら寝たり、周囲の雑音をかき消してくれたり、退屈な時間をつぶしたりできた。

ウォークマンに関する思い出を探すと、必ず思い浮かぶ出来事がある。

中学時代、あまりにも数学の成績が悪いので、高校入試の模試の結果を親に見せると必ず、数学のことで怒られていた。模試の結果を受け取ったその日、偶然両親の帰りが遅く、居間には私一人しかいなかった。ふと「今日もまた数学の成績が悪くて怒られるんだろうなあ」と思うと涙が出てきた。数学の成績を悪くしたいわけではないし、それなりにがんばって勉強もしていたし、宿題もきちんとこなしていた。でも、父親は「お前だってやればできるはずだ」「自分も昔はできなかったけどがんばったらできるようになった」「お前の妹は数学できるんだからお前もできるはずだ」というようなことをものすごい剣幕でまくしたてる。あろうことか、かけ算の数字を書く順番が違っただけで激怒する、そのくせ、「親の顔色をうかがうんじゃない」と言う。もうどうしたらいいか分からなかった。

ウォークマンRADWIMPSのBY MY SIDE を聞いて、声を殺して泣いた。そのあとのことは覚えていない。たぶんまた怒られたんだと思う。でも、音楽を聞いている間は自分の泣いている声が聞こえなくて、いつもより情けない気持ちにはならなかったような気がした。

 

ウォークマンに関しては他にもたくさん思い出があって、一生懸命思い出そうとしなくても次々に思い浮かんでくる。また、使い込んだ電気製品に対する愛着に関して、他にも書いておきたいことがある。

時間がないので、今日はここまで。

何度も思い起こされる悲しみについて

親しい人を亡くした経験についての文章です。そのような内容を読みたくない気分の人は読まないでください。また、読んでいて悲しくなったり辛くなったりしたらすぐ読むのを止めてください。「他の人の悲しみに触れると、自分の感情や悲しみがちっぽけなものに思えてしまう・自分が薄情で浅はかな人間に思えてくる」ということが起こります。いつでも読むのをやめられるようにして読んでください。

 

親しい人を亡くしたあと、繰り返し考えた事柄がある。

・なぜ優秀なあの人が死に、価値のない私が生きているのか。

・あの人が生きていたら、自分がなんとなく過ごしている毎日をどんな風に役立てて生活していたのだろう。

 

それは決まって調子の悪いとき(体調が悪いとき、何か悲しいことがあったとき、自分がいまやっていることについて疑問を覚えたときなど)に思い出され、「あの人ではなく私が死ぬべきだった」「あの人が生きていたらこの時間をより有効に使うだろう」という結論に達して、泣くことしかできなかった。

 

親しい人を亡くしたとき、その人についての情報が周囲の人から自然と流れ込んでくる。高校生の私が大学生の姉を亡くしたときには、姉の友人から大学での様子を聞いた。いつも図書館に通っていて、周囲の友人も驚くほどまめに勉強していたそうだ。教授から借りていたという分厚い本を親が返しているのを見た。私はそれを聞き、見て、姉はとても優秀な学生だったことを知らされた。それに比べて当時の私は受動的に勉強に取り組んでいるだけで、勉強が面白いとか、学びたい内容に向かって努力するとか、そういうことができていなかったし、大学生になってもそんな学生になれる自信がなかった。

「姉は優秀な大学生だった」という1つの情報から、家族という身近な存在の知らなかった面を見せられ、さらにはとても優れた人物だったという強烈な光の側面を見せられてしまった。

故人について自分が知らなかったことを知ることができたこと自体は悪いことではない。それを知ったとき、ただちにショックを受けたわけでもない。しかし、時間が経つにつれて、(私の場合は故人との思い出などよりも鮮烈に)故人は自分よりも生きる価値があったのではないか?と突きつけられた。

 

数ヶ月前には、大学の同級生が交通事故で亡くなった。突然のことだったが、連絡が素早く行き届いたため、彼のお別れ会へ向かうことができた。彼は陽気で、人脈も広かった。いつも忙しそうにしており、大学という環境をフルに活用して学生生活を送っている人だったように思う。彼の周りにはたくさんの人がいたと思うけれど、一人一人の出身地や所属サークルを覚えてくれていた。彼のお別れ会に私が知らない人々が彼をおもって駆けつけ、悲しみに暮れているのを見た。

それから数日、目が覚めるとまず「彼が死んでしまった」という事が思い出され、胸が痛んだ。昼間、仕事の一環で細々としたことをやっているときや、仕事から帰ってお風呂に入ているときには泣いてしまった。自力ではどうにもならない、生きて行くには不要なことを悶々と考えるとき、「彼がもし生きていたら、この時間をどう使ったのだろう?」と考え込んでしまった。

 

姉についてのこういった感情は、姉が亡くなってから5年以上経った今ではあまり呼び起こされなくなってきた。もちろん、同じような感情(故人のほうが自分より価値がある、自分が死に故人が生きるべきだったという考え)をすることもあるけれど、「そういう感情を抱いてしまうものなのだ」と思うことにしている。これは万人に通用する解決策ではないし、これが正しいかどうかは分からないし、それを聞いたからといってすぐにそう考えられるようになるとは思わない。しかし、こういう風に何度も考えてしまうことはおかしいことではないし、感じること自体は悪ではないと思うだけでも少しは気が楽になった。

 

故人と自分の価値を比べてしまったり、やっと以前の思考に近づいてきたなと思ったのに、故人を急に何度も思い出すようになってしまった、「私は生きていても意味がない。死ぬべきだ(いなくなってしまいたい、私が死に、故人が生きていればいいのに)」「乗り越えられたと思ったのにそうではなかった。私は前に進むことができていない」と考えてしまっても、同じように考える人はここにもいること、そう感じることは悪ではないこと、それだけは覚えておいてほしい。

体をこわした・ケガしたときの思い出

インフルエンザが流行っているとのことですが、幸いかかっていません。大学に入ってから予防接種に行きそびれている割には大丈夫です。社会人になってから風邪を引くことが増え、ついに先日熱を出して病院に行きました、が、それでもインフルエンザではありませんでした。よかった。

 

小さい頃は病気やケガをしてばかりだったので、そういう思い出もたくさんあります。ケガや病気の話が出てきます。

 

◇体をこわしたときの思い出

 小学生一年生の時、胃腸炎に感染した。詳しいことは覚えていないが、夜突然吐いてしまった事だけは覚えている。人間始めて6年目なので、「気持ち悪い」とか「吐きそう」という感覚がどんなものなのかも分からず、翌日学校に送り出される前に「気持ち悪くない?」と母親に念を押されたときに勇気を振り絞って「気持ち悪いとは、どういうことか」と聞いた。「口の中が酸っぱくなったりするけどどう?」と言う。正直その通りだったが、朝の忙しい時間で焦っている母親を見ると何も言えず、大丈夫と言い張って学校に行ってしまった。案の定学校で体調を崩し病院行きに。まず親に小児科に連れて行ってもらった気がする。病院で診察を終えてぐったりしている私を、母親は背負って車へ向かった。私は「大変ですよね。ごめんなさい」と言った。母親が何と答えたかは覚えていない。数日家で休んだ気がするが、「何か食べたいものない?」と言われて果物を色々答えたら、買い物に行くついでに買えるだけそれらを買ってきてくれた。何を食べてももどしてしまうので食べられないのが悲しかった。

 重症だったからなのか、そのあたりも覚えていないが、入院することになってしまった。病院食に飽きて、「退院したらハンバーガーとおだんごと……」と食べたいものをひたすら父親に聞かせていた覚えがある。入院するときと退院するときにそれぞれ体重を量ったが、退院するときにはもともと少なかった(20kgなかった気がする)体重が1キロ減っていたことだけ覚えている。

 今は、胃腸炎で入院するって結構な大事だったのではないか、と思う。中学くらいから胃腸炎には全くかからなくなった。代わりに(?)双子の妹がほぼ毎年インフルエンザにかかっていた気がする。他にも歯やストレス性のあれこれにかかっていて気の毒だ。

 

◇ケガしたときの思い出

 小学生低学年のころ。自宅前にコンクリートで固められた場所(目の前に他家の畑があり、そこからコンクリートで固めた場所が50cmほど高くなっている。コンクリートで固められた場所は家に沿うように細長く、幅は1mほど。そのコンクリートの上に家が建っている)があった。妹とよくそこで遊んだが、畑とコンクリの段差はコンクリむき出しの角になっていて、母親に気をつけるようによく注意されていた。

 ある日、何のはずみだったのか、私は足を踏み外して(コンクリートの角の手前に右足をつこうとしたが、端すぎて足を滑らせてしまった)、右足のももの外側を大きくすりむいて畑に落ちてしまった。痛いし驚いたしで大声で泣いたのだが、駆けつけた母親に「ごめんなさい!」と大声で泣きながら謝った。「あれだけ注意しろって言ったのに何やってんだ!」と怒られると思ったからだ。母親に怒られた記憶はない。

 母親と一緒に駆けつけた姉は後日母親に「○○(私のこと)、落ちて一番最初に何て言ったと思う?ごめんなさいだよ!」と怒っていた。なぜ怒っていたのか未だに腑に落ちないが、姉は「ケガをした子どもを怒鳴りつける親ではない」と親のことを信頼していたのではないか、ということだけは推測できる。

 

 他にもケガの話はあるのですが、先日思い出したのはこの2つ。家族がいれば、自分の代わりに何か買ってきてくれたり、気にかけてくれたりするかもしれませんが、一人で病気と闘うのは辛いです。先日熱を出したときには会社を休みました。「今日仕事休んだから2度寝するぞ!」と寝たら、何回も悪夢を見て疲れました。

 体調をよくするに早く寝た方がいいことは分かるのですが、職場からの帰り道、坂道を登っている時など、無性に悲しくなってしまい、家に帰るとたくさんゲームをしてしまいます。早く寝られたのは風邪を引いていた間とその後2日間くらいです。寒い季節が早く終われば良いのにと思います。うまくまとまらないのでこの辺で。

釈然としない思い出の話

特定の思い出をたびたび思い出してはそのたびに辛くなっていくような気もするし、その思い出の影が濃くなると楽しかった思い出が薄らいでいくようで悲しいです。何度も思い出さないように、ここにちょっと書いておきます。

 

【けが】

・小学生6年生の時、彫刻刀を使った図工の授業中、指先にちょっぴり彫刻刀が刺さり血が出てしまった。私はちょっと抑えておけば大丈夫だろうと思っていたら、友達が動転して、先生に報告することなく私を教室から連れ出して保健室に無理矢理連れて行った。保健室で「先生に一声かけてから来なさい」と怒られたのは私。怪我した上に保健室の先生に当たり前のことを怒られるとは……と情けなくて泣きそうになった。戻ってきた先生にも両方悪いといわれ、彫刻刀は危険だという判断でその後彫刻刀を使った図工の時間はなくなってしまった。

 

【成人式】

・大昔、TVで振り袖のCMを見ていた父親が「やっぱり振り袖は赤に限る。赤が一番かわいい。その他の色やくすんだ色は年取ってからでも着られるけど赤はその時しか着られない」みたいなことを発言し、母親も同調していた。どの着物もきれいなのでは?と思っていただけに子供心にもショックだった。祖母から伝わっている振り袖は朱色で、当然私も赤い振り袖を着る(着させられる、着なければならない)と思っていた。

いざ成人式の前撮りをする事になった際、私が祖母の振り袖を着たら「なんか似合わない」と店員と母親から不評。私はよくわからなかった。妹が着てみると大絶賛。私は「どうして!?」と言ったけどなんとなく……みたいな返答しかもらえず。何が似合うの?といったら着たいのを持ってきてと言われたので持っていったがどれも不評。結局私が選んだ者ではない、くすんだ金色と紫色の振り袖になってしまった。小さい頃の振り袖の記憶が強く、赤以外の振り袖を着るなんて許されない、赤以外選ぶなんて非常識、と思っていた私は渋々着ることに。しかし、レンタルだったため、成人式の時だけだ……我慢しよう、と思った。当日「なんか凄みがある」「でも似合ってるよ」みたいな微妙な反応しかもらえず。後日、祖母から「あの振り袖買ってあげたから着てね」と言われる。私にはどんな着物が似合うなんて分からなかった。正直言うとあんな振り袖ほしくなかった。祖母に申し訳ない上に納得がいかない。

大学の卒業式にはその意趣返しで赤い着物に袴で出席した。友人が「赤。似合わないなんて事ないんじゃない」「かわいいよ」と言ってくれたのには救われた。親にも「成人式で赤着れなかったから卒業式では赤を着たのよ」とチクリと言っておいた。

 

この二つの思い出を思い出して昼間涙がこぼれた。昔のちょっとした嫌なことを思い出して、急に悲しくなったり、理由もなく「もうだめだ!」と思ってしまうことってありますか?私はあります。どうやら同じ嫌な思い出を何度も思い出して、一回できた傷を何度も刃物でなぞるように、思い出せば思い出すほど辛い思いが高まっていく気がします。でも思い出さないようにする方法が分からないので対策ができません。一回文章にすることで「アウトプットしたからもういっか」と頭が判断してくれたら良いなと思っています。

一人酒の才能

あけましておめでとうございます。今年最初の記事です。

仕事の文章は全然書けませんが、自分のこととなると結構書けるので、これからも細々と書いていきます。

 

年末、何回か飲み会に出席した。忘年会というやつだ。

学生時代から飲み会には何回も出席してきた。初めて飲み会を経験したときには、周囲から聞こえてくる大きな笑い声とか、普段の様子からは想像も出来ない振る舞いをしている先輩の姿を見てとても驚いたものだった。

今はそういったことにも慣れてきて、会社関係のものはともかく、友達とのものには積極的に参加するようになってきた。しかし、飲み会の雰囲気に慣れてきて、気がついたことがある。

自分の話が全く出てこないのである。

同席しているメンバーが不愉快な振る舞いをしているとか、自分が嫌なことを強制してくるとか、そういうことはない。酔っている彼らを見ていると思わず笑ってしまうし、口数が増えた彼らの話を聞くのも面白い。が、自分の話をすることが全くできない。会社であったこと、普段どんな仕事をしているのか、どんなものに興味があって、どんなところが好きなのか……話そうとすれば話題はたくさんあるはずだが。

そもそも、酒を飲むと無口になってしまう。周りに楽しそうにしている友人がたくさんいると、それだけで安心してしまって、その輪に加わろうと思うことができない。今までお酒を飲んでいて一番楽しかった思い出が、自宅でPCゲームをしながらアップルシードルを飲んでいたことだと記憶している。お喋りもへったくれもない。ゲーム内のキャラが戦闘でうまいこと攻撃を避けているのを見てにっこりしていたことだけ覚えている(文豪とアルケミストというゲーム)。お酒に強い方ではないので、飲酒するときは頭痛や眠気を催さない程度に控えている。その時はいつもより少し多めに飲んだが、頭が痛くなったり気持ち悪くなったりすることなく、ふわふわとしたいい気分になれた。

こんな酔い方をするので、周囲が賑やかに盛り上がっている中で端っこの席で黙々と料理を食べていたり、スマホでゲームをしていると非常に落ち着く。話しかけられることがなくても、「周りがなんとなく楽しそうだから」というだけで落ち着いてしまうのである。

「こんな時くらいゲームしないでよ」と冗談半分にいわれたこともあるけれど、ゲームをしないと、ただ隅で楽しそうにしている友人を眺める人になってしまう。「周りがなんとなく楽しそうだから」という理由で落ち着いてしまうのは、どこかに「自分が会話の輪に加わることを強制されない」という安心感があるような気もする。自分が楽しく話をしなくても、酔った友人が好きなものについて話しているのを聞いているだけで楽しい。人の話を聞くことは、元から得意な方だ。「この場で話していい話題かな?」と考えるくらいなら、人の話を聞いていた方が楽だ。

飲酒してもテンションが上がったり、自分の話をしたがったりするタイプではないことと、普段から人の話を聞くことに徹していることが相まって、「自分の話をたくさんしてもある程度は許容される場所」においても自分の話をすることができなくなっているようだ。このままでも自分に何か悪影響があるわけではないが、きちんと会話の輪に入ったり、楽しんでいる人たちと一緒に飲み会を盛り上げることができないのは、いいことではないような気がする。何よりも、ちょっとした愚痴とか、好きな物事について多少熱を入れて喋ることができる場所で話すことができないというのは勿体ないし、他の人に自分について伝えることができないというのは致命的である気がする。

どんな楽しい経験をして、そのどこが印象に残っているのか?

嫌な出来事のどこがどんな風に嫌だったのか?

そういう、自分の感じたことを「文章ではなく、口で、言葉で」表現できないのは、やっぱりダメな気がする。

 

文章がまとまらないので、今日はここまで。