うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

感情の表出について

4月には3月よりも多く更新しようと思っていたら、あっという間に終わりました。ご無沙汰しております。

 

先日、「うつになりやすい人の特徴」を知りました。鬱に陥ったことのある自分の経験を踏まえると「全て自分でしないと気が済まない」「完璧主義である」「気落ちしている・周りと同じ振る舞いができない自分が許せない」というものが顕著だと思っています。(ここでは、医師の診断を受けていない、うつ病によく似た症状のこともまとめて「鬱」と表記します。)

ところで、私には妹がいます。同居していないのですが、GWを利用して私の住んでいるところへ遊びに来てくれました。

 

私の妹も軽い鬱状態に陥ったことがあるのですが、そのことを進んで私に話してくれることはありませんでした。彼女がそのような状況に陥っていると知ったのは、彼女と母親の会話を通してでした。

彼女の場合、自分がしたことを批判されるのが怖くて、知り合いに会ったり、外に出られなくなったりしたようです。私も妹も一応の進学校に通っていた「いい子」だったので、周囲から欠陥を指摘されるのが恐ろしいというのは当たり前で、また優等生的な落ち込み方だと思います。

 

彼女が鬱になったのは私が鬱に陥り、そして脱却した後だったので「なぜ私を頼ってくれなかったんだろう」という気持ちになりました。理由を直接訪尋ねてみたところ、「人に弱みを見せたくないと思っていた」だそう。とはいえ、彼女が悩みを話す人は彼女の近くに数人いたようです。家族であり、鬱をすでに一回経験した人間が近くにいたのに、頼ろうという考え自体思い浮かばなかったと言っていました。

 

鬱に陥りやすい(陥っている)人の特徴として、自分の本音を打ち明けない、ということも挙げられる気がします。周りの人が難なくこなしていることができなくて辛い自分は間違っているとか、今まで通りに頑張れない自分は正しくないとか、感じているような気がします。実際、鬱から脱却した後、自分は周囲からの目をある程度気にしないと切り捨てて、自分の感じたことを口にすることで、だいぶ楽になりました。

仲の良い友人と一緒に行きたいと思っていたお店が、いざ訪れてみたら閉まっていた時に、私は「くやしい!」と思わず大きな声を出しました。友人は「そんなにくやしかったの?」と苦笑しながら受け入れてくれました。

これは小さな出来事の例ですが、周囲の人間は、自分がどのように感情をあらわそうと、ひどい中傷や暴言を言わない限り、大抵は受け入れてくれると思います。鬱に陥ってから「自分の感情に素直になれ」と言っても実行するのは難しいですが、日ごろから感情のガス抜きをするのは案外簡単で、意外に大事なことだと思います。

 

誰かに具体的な不満や苦しさ、辛さを直接話すことに限らず、日記やブログにあらわすことも、感情表現の一つだと思います。私も、感情をためこまないために、頭の中だけで独りよがりな結論に至らないために、このブログを書いています。

直接感情を表現するのが苦手でも、様々な方法で、感情の発散ができます。

手遅れにならないうちに、自分に合った方法を見つけるのが一番だと思います。

親しい人を亡くすということ

少し前から故郷へ帰省しています。帰省のついでに、両親と妹と一緒に旅行にいってきました。
日本海が見える旅館に泊まり、夕方はよにんで海岸の貝殻を拾って楽しみました。
今回は旅行をきっかけに呼び起こされた、亡くなった大切な人に対する感情の話です。

私には姉がいました。4つ上で、思春期には邪険にされたりもしましたが、大学に進学して一人暮らしを初めてからは、当時高校生だった私と妹をよく気にかけてくれていました。
姉は私が高校二年生の時に亡くなりました。彼女は4歳の頃からⅠ型糖尿病を患っており、内臓がだいぶ疲弊していたようです。

Ⅰ型糖尿病については、ここでは詳しくお話ししませんが、ぜひ検索して調べてください。ここから先の糖尿病についての話は、私の個人的な知識に基づいて書かれたものです。間違いがあるかもしれません。
糖尿病を簡単に言うと、食事後に上昇する血糖値を下げるホルモンが出なくなる病気。Ⅰ型糖尿病は、生活習慣や年齢に関わらず、それが突然発症してしまうものです。

そんな訳で、姉は一人暮らしの最中に亡くなりました。もちろん当時は(詳しく書きませんが)とても悲しくつらく感じました。ですが、数年たった今では、親しい友人にそれを打ち明けることも少なくありませんし、話しているときにつらいと感じることもありません。「自分について知っていてほしいこと」のうちの一つになったのです。
そうなったと信じていました。

昨日、入浴しながら旅行について思い出していました。どんな観光地より、私には貝殻拾いが何程楽しかったので、私はふとその情景に姉を配置してみました。小学校の遠足に熱を出した友人が来られなかったときのように、「彼女がいたら、私たちがこんなことではしゃいでいるのをどう見るだろう?一緒にはしゃいでくれるだろうか?それとも呆れるかな?」と考えてみたのです。
しかし、その考えは展開しませんでした。というのも、先の問いに全くもって答えがでなかった、つまり「彼女の生前の行動パターンからして、こういう行動をとりそうだ」と、予測することができなかったのです。

私は姉を忘れたのだ!と思い至りました。同時に涙が出てきました。
私は人生の半分以上をひとつ屋根の下で過ごした人を、なんの抵抗もなく忘れてしまう。それはとても無情な行いに思えます。思い出の概要は思い出せても、姉の歩き方や声は浮かばない。覚えていることと言ったら、夏の暑い日に自分のコップに氷を山盛りにしてパソコンの横に置き、ネットサーフィンをする丸まった背中くらいです。
忘れられた姉は、海岸で私たちの輪に混ざれず、遺影の額縁のなかで微笑んでいるだけでした。

忘れられた故人がかわいそうだというわけではありません。(故人の意図や気持ちを勝手に予想するのは、生きている人のエゴだと思っています)長い時間を共に過ごしてきた人間を、あっさりと、自分の生活で覚えなければならないことを優先させ、忘れてしまう、自分に腹が立ったのです。それをどうしようもできないこと、気がつかないうちにここまできてしまったことが悲しかったのです。

親しい人を亡くした人には、こうした経験をした人もある「かもしれません」。この事情は簡単ではなく、個人個人で経緯が異なるので、一概に「親しい人を亡くした人はこういう経験をする」とは言い切れません。
でも、そういう経験をした人は、時間がたって元気になったように見えても、一言で言えない複雑な思いや気持ちが入った箱をずっと持っているように思います。自分でも分からないタイミングで(夢に故人が出てくるとか、私のように)それが開いて、どうしようもない気持ちになるのではないかと思います。

箱とその人の関係に他人が入る余地はありません。というのも、本人が箱の存在に気がついていないことが多いからです。箱とは、完全に個人で向き合っていかなければならないのです。

長々と書きましたけれど、人がなくなるということは大変なことですね、同じ境遇であっても立ち入ることはできないし、本人もその大変さに気がついていないこともありますね、という話でした。
箱がまたいつか開いたら、その話を書くかもしれません。

長所と短所 いいところとわるいところについて

就職活動に出遅れた私も本格的に忙しくなってきました。忙しいだけに、毎日感じたことを素直にアウトプットしていこうと思っています。今回は長所と短所についてです。(必死にまとめましたが、眠いので文章がちらかっています。)

 

誰しもいいところと悪いところがあります。就職活動に際して、面接で聞かれることがあるとも聞いています。

 

私の悪いところ・短所は、「自分を過小評価しがちなところ」「誰かに頼ろうとしないところ」だと思っています。前者は「私は多くのことを求められている」という幼少期からの思い込みが原因、後者は両親から「簡単に他人に頼るんじゃありません」と何度もしかられたことが原因だと思っています。私の悪いところは親の育て方のせいだと考えることが多いのですが、悪いところの原因すべてが彼らにあるわけではありません。もう一つ、「悪いところの原因を親に求めようとする」というのも挙げられるかもしれません。

でも、その短所もいい方一つで印象が全く変わってきます。「自分を過小評価する」なら「謙虚に物事を考えられる」、「誰かに頼ろうとしないところ」なら「まず自分の力で解決できないか挑戦すること」と言えば、前向きな印象に変わります。物は言い様ですね。

 

それでも、大学生活をしているなかで半年ほど、ひどく落ち込んだせいでほぼ学校に行くことができなくなった時期があることと、アルバイト経験がないことは、どう頑張ってもポジティブな捉え方ができていませんでした。言葉を変えても全然印象が変わりませんし、周囲の友人は皆アルバイトの経験を積んでいて、働いていない私は少数派でした。

 

「アルバイト経験がない」なら、そのほかの何に打ち込んだのか?「学校に半年間行っていなかった」なら、その期間何をしたか?学校に半年間行かないなんて普通の人はしないから、そこを掘り下げるといいよ、とある人に教わりました。

 

大げさですが、大学生活中何をしても、誰に相談しても変わらない現実を肯定され、救われた気持ちです。

半年間学校に通っていなかったことが両親に知られた時には、頭ごなしに怒鳴られましたし(理由を説明しろと言われました。その時は自分の中で整理がついていなかったし、その親当人について悩んでいたので、それを言ったら何をされるか分からないと思うと怖くて、黙ってしまいました。親も私も不器用なのです)、アルバイトについては半年分の単位を取り返す方が大事でしたので、興味があっても手が出ませんでした。

 

自分は何も持っていないと思っていたのに、後ろめたい経験が文字通り、この先立ちはだかる敵やライバルを打倒する「武器」になった、それが今はとても嬉しいです。

食わず嫌いについて

ご無沙汰しています。身の回りの出来事が忙しく、ブログの更新をしようと思いつく暇さえありませんでした。今回は食わず嫌いについてです。

 

私の家族、特に両親は、「流行ものに乗らない」という意地を持っていました。

本人たちが宣言している訳ではありませんが、彼らが好んでいた漫画が有名になった途端に買わなくなったり、「有名にならなければよかったのに!」と溜息をついていたりしました。最近は彼等も歳を取って丸くなったのか、有名な漫画を「面白いんだって」と突然買ってくることもありますが。

とにかく、昔は「自分の好みにぴったり当てはまる、自分が支えていることが実感できるもの」しか、応援しようとしませんでした。

 

そんな両親のもとで育ったためか、小さい頃の私も、流行に対しては冷たい視線を向けることが多かったのです。洋服しかり、ゲーム(家ではさせてもらえませんでしたけれども)しかり、遊び方しかり。流行っているものは大したものではないと思っていましたし、その流行に乗る人達のこともひっそり馬鹿にしていました(ほんとうです)。

 

私が流行に乗る、流行のものを知ることに対して前向きになったのは、大学生になってからでした。某かたな擬人化ゲームがリリースされて莫大なユーザーを獲得していることを知り、そんなに多くの人がプレイしているのなら……と、ちょっとした冗談のつもりで始めてみたのです。大学でそのゲームの話をしてみたところ、なんと自分の周りにはそのゲームのユーザーが3人もいたのです。

その3人とは同級生でした。以前から互いに全く知らなかった訳ではなかったので、4人でゲームの話をするようになりました。それがきっかけで、それぞれの好きなジャンルの話をするようになったり、一緒に出かけるようになったりして、今では一緒に就活の合間に焼き肉食べたり鍋食べたりDVD見たりHulu見たりする、いい友達関係になりました。

 

流行に少しでも乗る、流行を知っていることで、人の輪は確実に広がります。今まで知らなかった誰かと、大切な関係を築くことができるかもしれません。

「私は自分で認めたものしか好きにならないし…」とか、「たくさんの人がやってるからって自分も手を出すなんてちょっと…」と思っていると、貴重なチャンスを逃す羽目になるかもしれませんね。

 

流行っているものを好きになるかどうかは置いておいて、流行り物に注目する、とりあえずちょっとだけ食べてみる。それは、全く悪いことではないと思います。

本屋然とした本屋さん

 久しぶりの更新です。「次の更新では絵について書きます」と書いた覚えがありますが、近所の本屋さんが閉店してしまったことについて書こうと思います。

 

 住んでいる場所から気軽に行ける場所にある本屋さんが閉店してしまいました。全国展開しているチェーンの本屋ではなく、地域の本屋さんといった感じのお店でした。閉店の原因は、売り上げがなかった・低かったからではないそうですし、その本屋さんに行ったことは二三度しかなかったのですが、自分に何かできることはなかったのかと悔しく思っています。

 

 というのも、そのお店の雰囲気がとても好きだったからなのです。店に一歩入ると、店内の広さに驚かされます。入口近くの棚は低く、最近発売された本や漫画が平積みになっていて、見やすくなっています。店の奥に進むと、棚の向こうの人の頭が見えるくらいの高さの棚が並んでいます。文庫本からハードカバー、趣味の雑誌まで、色々な種類の本を見ることができます。映像化で話題になった作品はもちろん、出版社のフェアやキャンペーンによって様々な作品が目立つようになっていて、今まで知らなかった本に出会うことができます。

 棚の配置だけではありません。訪れたお客さんは、本と出会うことに集中しているように思えます。レジに向かうと、レジの手前に文房具のコーナーがあります。小学生向けのかわいいキャラクター文具から筆ペン、ファイルやバインダーなど、「あっても困らないよな」と思ってしまう文具が揃っています。必ずしも買わなくてもいいような文具を買いそうになってしまいます。こういう、思わずゆっくり居座ってしまいそうになる本屋さんのことを、「本屋然とした本屋さん」と呼ぶことにしました。

 

 全国チェーンの本屋さんが悪い訳ではないのです。映像化された作品が大きく取り上げられていて見つけやすかったり、レンタルコーナーが併設されていたりします。しかし、そこには地域の本屋さんのような、ゆったりとした時間は流れていないように思います。人の声と音楽が一緒に放送されているし、少し前に出版された、あまり有名ではない本なんかは、置いていないことが多いです。話題になった本とか、よく売れている本を見つけるにはいいところですが、見たことのない本との出会いを求めるには、適していないように思います。

 

 本屋然とした本屋さんで、今まで知らなかった本との出会いとか、ペン一本買うかどうかで真剣に心が揺らいでしまうとか、キャラクター文具を見て一人で懐かしがるとか、そういった経験ができなくなると思うと、とても寂しいです。そして、本当に惜しいことをした、と思うのです。

優等生の悔い

 今日はです・ますの気持ちなので、です・ます体で書きます。

 

 自分から名乗るのもおかしいですが、大学に進学するまでの私はずっと優等生でした。学力も悪い方ではなかったのですが、行動が優等生だったのです。親や教師に対して、従順すぎるほど従順に行動してきました。親が習いごとの体験教室に連れて行けばかよったし、先生が受験が近いから勉強しろと言えば、その通りにしました。

 

 今、過去の優等生っぷりが裏目に出ています。就職活動とか卒業論文のテーマ決めとかいうものは、何に関しても自分から動かなければ何の進展を生みだすことができません。しかも、明確な締め切りとか、やるべきことをしないとしかる人がいるとか、点数化されて評価されるとかいうことはありません。

 

 行動に自発性がないのです。よほど好きでなければ、物を食べるとか、寝るとかいうことまでしたくなくなる時すらあるほどです。親や先生がいれば、「生活習慣の乱れ」を指摘してくれたでしょうし、いい加減寝なさいとかしかってきたでしょうが、今はそんな人はいません。当たり前のことなのですが、これは元優等生にとっての行動を決める指針を失うことを意味します。

 

 そばでとやかく口を出してくる監督者がいなければろくに一人で将来を決めることもできない、という事実に気付いて呆然としています。これまで、進路選択や受ける講義など、自分の判断に基づいて行動してきたつもりでした。ところが、その選択のどこかには「こうしたら怒られないよな」とか「これを選んだらきっと怒られるだろう」という保身の考えが潜んでいた、ということにも気付きました。

 

 私は昔から絵を描くことが好きで(このことについても色々な経験があります。次の更新はこの話にしようと思います)、親も進んで私に絵を描かせました。そして、「あなたが好きな道に進みなさい。あなたが好きなら、私たちは何も言わないから」と言い続けました。その反面、テレビで音楽や芸術の専門学校の広告を目にすると「あんなところは馬鹿の行くところだ」と嫌そうに言うのでした。

 

 私は、この状況下で「芸術の道に進みたい」と言ったところで、頭ごなしに怒られて否定されるのではないか、という発想をしてしまいました。その後、部活動などでずっと芸術や創作活動に触れ、何かをつくってはいるものの、自分の創作に自信が持てなかったり、誰かに笑われているのではないか、馬鹿にされているのではないか、自分が否定されるのではないかと思い込むことがあります。また、芸術系の進路を選ぼうと考えすらしなかったことを、今でも後悔します。

 

 親の二つの発言は、どちらも軽い気持ちでなされたことでしょう。しかし、その言葉は優等生には重すぎるものでした。親の軽い一言で思考の幅を狭めてしまったこと、今まで親の言葉に支配されてきたこと、自分一人では何一つ選べないことを自覚すると、どうしても後悔してしまうのです。

絵を描くということ

 誰もが、SNSで他の人が描いた絵を容易に見ることができるようになった。私もツイッターで色々な人の絵を目にする。絵と一口に言っても、自分の経験したことをまんがにして描いていたり、キャラクターを描いていたり、学校の課題で描いていたり、様々だ。

 

 ここでは、絵の完成度や精度や、きれいかきれいではないか、下手か上手かについて書きたいのではない。もし、そう解釈できる表現があったとしても、それは私が意図していないものであることを理解してもらいたい。ここでは種類や動機について書きたい。その動機についても、善し悪しや順位をつけるものではない。

 

 ツイッターで絵を見ていると、「自分が経験したこと・思ったことを何らかのキャラクターに代理させる」ものが多いように感じる。それらを見ていると、気軽に絵を描いているんだなあ、それだけ身近な手段として絵を選ぶことができるのだなあと羨ましい気持ちになる。

 

 中高生時代に美術部に所属し、今も作品を作る活動を続けている。時々、自分が経験したことをキャラクターに代理させて、絵にしたいと思うこともある。しかし、まだ実行に至ったことはない。絵を描く時には、何かものすごく強い衝動とか高揚が必要だからだ。その強い衝動とか、高揚とかを自分で制御したり準備したりできないからだ。

 

 中高生時代からずっと、作品を作る時に衝動や高揚を意識して準備したことはなかった。展覧会が近づいたら自然とスイッチが入って(周囲から入れさせられることもあったけれど)、創作に取り組んだ。日常的に少しずつ取り組んで完成させるのではなく、その時の感情を一気に高ぶらせて何週間かで完成させる。そうすると、一時の感情の塊が出来上がる。

 

 一時の感情の塊を作る時には、締め切りとか義務があって、自分を必死にかきたてて描いていた。ところが、日常を描くとなると、締め切りも義務もない。絵以外の手段で伝えることも、できないことはない。そうなると、何故か描く気が起きなくなってしまうのだ。

 

 おそらく、私は絵として感情の塊を作るタイプ。日常的に少しずつとか、さっきあった面白い出来事を絵にして皆に伝えようとか、そういう動機で描くタイプではない。自分はこう感じている。こう思っている。でも何か他の手段じゃ嫌だ!絵を描くぞ!!というタイプなのだ。

 

 でも、感情の塊の絵ばかり作っていると、作り終わった後の燃え尽きがとても長い。加えて、その塊を否定されたりすると、ものすごく大きなショックを受ける。性格も影響して、直接否定されなくても、他のものに高い評価がたくさん集まるだけで、悲しい気持ちになってしまう。

 

 今、A4の紙にカラーペンで着彩するという作品を昨年の11月から作り続けている。A4一枚が埋まったら、また別のA4の紙を着彩する。週に一度は手をつけて、少しずつ長く描き続けることを意識している。感情の塊ばかり作っていては受ける波が大きすぎるし、もう少し絵という手段を自分に近づけたい。大仰な感情がなくても絵を描く手段を選ぶようになりたいからだ。

 

 この作品を作っているときにも、描きはじめた時にはなかった思いがぐつぐつ湧きあがって来ている。また感情の塊になってしまいそうだけれど、私と絵の関係が変わることを期待して、ちょっとずつ描いていこうと思う。