うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

思ったこと

 何か悪いことを聞いた時、自分のことを言っているのではないかと不安になることがある。一対一で目の前で言われたならば確認できるだろうが、厄介なのは遠まわしに聞いた場合。書き言葉とか、ある場を立ち去る時に聞えてきた言葉とか、そういったものを確認することはまずできない。

 

 知人から、他人の視線や会話が気になりすぎて家の外では飲食ができないという女性の話を聞いたことがある。食べている物の種類や時間を笑われたりおかしいと思われたりする「かもしれない」ことが許せないそうだ。

 

 周囲の人は誰もその女性の食生活を観察してはいないだろう。しかし彼女には「かもしれない」が決して許せない。周囲の反応を予測して先回りして原因を排除しないことには安心できない。

 

 裏を返せば、原因を排除してしまえば彼女は安心できる。では、明確な原因が無い場合は?周囲の反応が予測できない場合は?どうすれば安心できるのだろう。ここまで考えれば、「原因が分からなければ対処できないから、あきらめるしかない」とか「絶対の安心なんて誰にもないから、気にしなければいい」とか結論が出るだろう。

 

 でも、それは安心を諦めるしかないということではないか。とりあえずは鈍感に過ごして自分を守るが、根本的な解決にはつながらない。自分の中できっぱりとした解決策が出るまでは、いちいち傷ついておろおろしていようと思う。