うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

帰省の時期

お久しぶりです。就活以上に大変なことが立て込んでいて忙しかったです。

それを完成させなくてはならない日には二日?三日?くらいシャワーを浴びておらず数時間のみの睡眠時間で、限られた時間を使い切りできるだけいいものにしようとあがいておりました。

完成したものはゴミみたいなものかもしれないですけど、友人たちと交代しながら部屋を出し合って作業環境を必死で整え、ボトル入りのガムとミカンを貪りながら、結果を良くしようと頑張った過程は、何物にも代えがたいような気がします。

 

年末が近づき、帰省の話をすることが増えました。私は、帰省することに前向きな気持ちになれません。帰省すると、一人暮らししている先でいるときとは違う自分になってしまうような気がするからです。

この記事は、自分の過去の経験の話を、整理を付けるために書いたものです。不快な気持ちになったら、何か言う前に読むのをやめてくださって結構です。

 

最近は忙しいことを盾に家族との連絡を絶っていたのですが、つい二週間くらい前母親からこんな文面の連絡が来ました。

「あなた、この進路で大丈夫なの?あなたの気持ちが心配です。」

というのも、母親に「高校生くらいの時に芸術関係の進路を選びたいと思ったこともあったけど、父親があまりにも絵画や音楽に対して馬鹿にした態度を取るので、とてもじゃないが言い出せなかった」と打ち明けたからなのです。母親は、純粋に私の将来と気持ちの整理がつかなくなることを心配して、この連絡をくれたのだと思います。

 

しかし、私はこう思ってしまったのです。この連絡が届いたのは、私が卒業後の進路を彼女に連絡してから四ヶ月も経った後。加えて、芸術関係の進路に進みたかった云々、と告白したときは、「具体的な目標は何かあるのか?ないなら話はできない」と話していたのです。

それを聞いた私は一理あると納得し、とりあえず芸術系にこだわらず進路を決めようと考えていました。芸術系の進路に進むにはそういった分野の学業を修める必要もあるし、芸術系の学校を出たわけでもない私が、突然芸術系の進路に進んだからと言って、私の想像通りの仕事ができると決まったわけでもない。彼女の言葉を聞いて四ヶ月経った今では、「とりあえず一般的な仕事に就いてみることが大事かも知れない」という結論に、何の異論もなかったのです。ですから、彼女に、芸術系の進路に進むことはやめた、等という連絡もしませんでした。経験則から、彼女は私の「芸術系の進路に進みたい」という発言を好ましく思わなかったから、それらしい事を言ってそれ以上私に発言させなかったように思ったからです。

 

ところが、今頃になって「その進路で良いの?」という連絡が来た。彼女が何をしたいのか、私には全く分かりません。私にとっては、あきらめがついた頃に、やっぱりどうしよう?ほんとに大丈夫?納得できるの?と聞かれたようなものなのです。後出しじゃんけんみたいなものです。

 

昔から、私が思っていたことが裏切られると言うことは、多々ありました。(親子間のコミュニケーションがうまくいっていない家族のことですから、あくまでも私が『思っていただけのこと』が裏切られたと思ってください。互いに互いの本心を話さない家庭で起きたことです。)

私が毎週仮面ライダーを録画して、楽しみに見ていたら、父親が私がいないところで、それを親戚の前でバラして笑いものにしていたこと。「学費がかかるから、学費が安い大学に進学してくれ」と頼まれ、その通りの学校に合格したら、「なんだ、合格できるんだったら私大でもよかったじゃん」と笑いながら言われたこと。

美術の授業で絵に自作の詩を入れて製作する機会があり、「世の中いろんな事があるけど真夜中一人でテトリスやってる私には関係ねえな、でも救急車のサイレンが聞こえる」という趣旨の詩を書き、テトリスのプレイ画面っぽい絵を描いたら、学年主任でもあった美術の先生が、それを卒業文集の裏表紙にしてくれた。先生から、「あなたの娘さんの絵を卒業文集の裏表紙にしました」というお便りを受け取り、卒業文集と一緒に母親に見せたら、「あの裏表紙、あなたの絵じゃないんでしょ?先生の間違いでしょ?そうなんでしょ?」と言われたこと。

 

父親がそうしていたとき、私は布団の中で声を必死に抑えながら泣きました。面と向かって言い返すことはできず、ただ絶句しました。母親にそう言われたときは、酷くショックを受けながら「そうだよ、あれ私の絵じゃないよ」と答えました。母親は安心したようでした。

父親に怒れませんでした。時間が経ってから、「進学先をそんな風に言うなんて酷い、後から言うのはずるい」と言いましたが、声も小さかったし、どれだけ伝わったか分かりません。母親にも「ひどい!」と言えませんでした。彼らが予想していないことをしたとき、どんなことが起こるか知っていたからです。(絵の件に関しては後々手紙で謝罪を受けましたが、それっきりでした。母親の中では、謝ったことで終わってしまった出来事なのでしょう。私は今でも、このことを思い出すと声を上げて泣いてしまうほど、心に大きな爪痕を残した悲しく悔しい出来事なのですが、母親はそうとは思っていないのです、全く。私が、ひどい!と言えなかったからなのでしょうが)

 

時は、姉が大学進学の進路を選んでいたときにさかのぼります。大学選びをしていた姉は、宗教関係の学部を見つけ、進学したいと考えたようです。彼女は両親に相談しました。彼らはそれをもちろん受け入れるだろうと思いました。しかし、父親はそれを却下しました。宗教=危ない、という印象があったようです。今までブログに書いてきたように、両親は姉にも「やりたいことならなんでもいい、あなたのやりたいことをしなさい」と教育してきたはずです。彼女は大層怒りました。主に父親と激しい口論をしました。結果として彼女は父親に折れ、日本文化を研究する学部に進学しましたが、以来、父親との仲は険悪なものになり、彼女はアパート選びや家具選びなど、様々なところで意固地になって自分の意見を通そうとして、何度も父親と衝突するようになりました。

子ども用の部屋がなかった私の家では、彼女と父親の口論は常に居間で行われました。口論が始まったとき、私はいつも身体が硬直して、そこから動くことができませんでした。逃げる場所はトイレと決まっていて、誰かが入ろうとすれば出なければならない場所でした。完全に引きこもれる場所はなかったのです。

激しい言葉は私に向けられたものではないと分かっていたけれど、お湯が沸騰するように突然激昂する父親と、普段決して見せない頑固な面を見せ、父親に反抗する姉の姿も恐ろしかったですし、何より、その後の冷たい雰囲気が怖かったのです。口論をした後の家族の雰囲気は、とげとげしいものでした。そして、その雰囲気から逃げる場所は、どこにもありませんでした。私はトイレで口論が終わるのを待つしかありませんでした。私は思いました。私はこんな雰囲気を作ることはするまい、私が我慢すれば全部丸く収まるなら、全部我慢しよう。と思いました。

 

私が大学受験をする頃になると、父親は私に対して怒るようになりました。双子の妹が成績良好で、父親が数学を努力で克服したのに対して、私は数学がびっくりするほどできなかったのです。父親は、私が数学の課題をするところを、盗み見ました(父親がいるのも居間、私が勉強をするのも居間でした)。そして、私が書いたものが父親の思ったものと違うと、突然大きな声で怒られました。母親がかばってくれることもありましたが、基本的に私は黙ったまま怒られていました。泣くことはありましたが、言い返すことはありませんでした。身体が硬直して、下を向いたまま何もできなくなるのです。何か言ってみろ!とか言われますが、小さな声で「はい」と返事するのが精一杯です。父親が怒り出すのは嵐みたいなものでした。私がどうにかできるものではないと思っていました。怒られた後は決まってトイレに逃げて、手に竹串を刺したり、噛みついたりして、自傷してつらさに耐えました。

 

そんなわけで、帰省すると、「一人暮らしをしていて、気の合う友人がいて、好きなことを好きなようにやる自分」ではなくて、「親の前では彼らの思惑どおりに動き、我慢し、温かい雰囲気を保つ自分」モードになってしまう、ということが最近やっと分かりました。一人暮らししている時には、家族と摩擦が起きないように、という配慮は全然ありません。仮面ライダーに限らず、好きなゲームのキャラクターのグッズを飾れるし、部屋がないからと遠慮して買わなかったポスターも、自分を笑いものにする親がいないから、心置きなく買って貼れるし、家が狭いからと言って呼ばせて貰えなかった友達も呼べる。自分を否定してくるような親に見せたくなかった絵も、いつでも自由に描けるのです。そんな状況から帰省したら、違う自分になるのも至極当然のような気がします。

 

近頃、友人に親のことを相談してみたところ、一回言い返してみたらいいと言って貰えました。もちろんそうなのです。父親には面と向かって強い態度は取れませんが、文章ならなんとか対話できます。ラインの文章だけで、親を説得したこともあります。

 

ただ、私はもう両親とのつきあいに疲れているのです。希望を持てないと言っても良いかもしれません。私が思っていることを言ったところで両親は私を理解しないだろう。それどころか、両親のいいように歪めて解釈されてしまう恐れさえあるのです。

それは人間関係において普通のことかも知れませんが、このかた十数年、本当の気持ちを見せてこなかった相手に、ずっと萎縮してきた相手に、それができるでしょうか?

「裏で自分は笑いものにされているのだから、本当に好きなものの話は、あいつの前ではしてはいけない」「口では自分の作品を褒めていても、心の中では、こんなものを作って欲しくないと思っているのだから、その言葉を本当だと思ってはいけない」と自分に暗示をかけ続けてきた私には、「話せば分かって貰えるはずだ」という簡単な信頼すら、難しくなってしまったようです。

 

そうとはいえ、自分の「分かって貰えないと思っている」という気持ちすら、言葉にしないと伝わらないという事実があります。直接対面して伝えるのではなくとも、何らかのかたちで伝えなければ、私の気持ちは変わらないでしょう。今回の帰省で、何か伝えようと思っているのですが、この文章を書くだけでも泣くのを我慢できなかった私ですから、うまくいくか分かりません。直接対面して伝えるのは、途中で取り乱してしまうと思うので、文字で対決しようと思っていますが、全然理性的に書けません。

 

帰省が近づくこの時期、毎日と言って良いほど、真夜中に、両親絡みの辛い出来事を思い出してしまいます。こういう経験もトラウマと言っていいものなんでしょうか?一つ一つの出来事はありふれていますが、それが一人でいるときに突然甦って、泣き出してしまうことが多々あり、困っています。

私はどうしたらいいのでしょう?

こんなこと一つ決められない自分が、情けなく、ふがいなく、また、親に望まれている姿そのもののようでもあり、嫌悪感を覚えます。

ここ数日は特に忙しくて、それを文字にする時間すらありませんでしたので、とりあえず記録にして残しておきます。