うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

自転車の思い出

お久しぶりです。

職場にだいぶ慣れました。寂しいのには全然慣れてないのですが、ここからが本番のような気もだいぶします。

 

中学生の時から乗っている自転車で通勤していました。盗難されたことも、大きな事故に遭ったことも、一度もない自転車でした。その愛車を突然手放すことになってしまい、悲しい気持ちで書いています。盗難や事故が原因ではないのですが、ただ、面と向かって労えなかったことだけが心残りです。

 

一人で思い出に浸るのは辛いものがあるので、ここに自転車との思い出を書いてみようと思います。

 

中学生になるとき、児童用のピンク色の自転車しか持っていなかった私は、自転車を買い換えることになりました。母親の車の中で自転車のカタログを見ていたことを覚えています。サドルが茶色、車体は水色で、どことなくヨーロッパの雰囲気が漂う自転車にしました。

みんな銀色の車体に灰色のサドルの自転車に乗っていたので、自転車置き場でも一目で分かるようにするためでした。

これが、中学生から今に至るまで約10年間お世話になった自転車との、最初の思い出かもしれません。

 

次に思い出されるのは、中学一年生の頃、登校途中に転んだことです。鞄が重すぎてバランスを崩してしまったのでした。

これから一日学校で過ごすというのに、右膝をひどくすりむいた上、スカートの裾に5cm程の穴を開けてしまいました。今でも右膝にうっすらと跡が残っています。

毎朝すれ違う、自転車に乗った太ったおばさんが、私を横目にスイーと走って行ったことをよく覚えています。家に帰ってから親になんで転んだのか何度も聞かれたこともよく覚えています。

姉のお下がりだった古いスカートを買い換えてもらえるかと思いきや、スカートの穴は似た色の布でふさがれてしまったのでした。

 

その次は中学三年生の頃の記憶です。

私は仲の良い友人と二人で、真夏の町中を自転車で疾走しています。

もう一人の友人を迎えに行ったのに彼女はいつまで経っても姿を現わさず、ぎりぎりまで待った私たちは、遅刻寸前なのでした。

「「あつーーーい!」」

自転車で併走していた私と友人の声がきれいに重なり、二人で笑ったことを覚えています。

 

高校生になるとき、妹(双子なので同い年です)と私の自転車は、2台並んで、父親の車に積み込まれました。

高校が隣の市にあり、高校の最寄り駅までは電車で行くので、駅まで運んでもらうのです。

自転車が揺れで倒れないよう、父親が伸縮性のあるロープのようなものでしっかりと固定してくれたのを覚えています。

 

駅から高校までは、友人と二人で自転車に乗って通いました。

高校の行事の開催場所にも自転車で行きました。

雨の日には錆びないように屋根の下に駐めておきました。

パンクしたと思って修理に持ち込んだら、チューブから交換しないといけないと言われたこともありました。

 

大学に入ってからは、広いキャンパスを行き来するのに重宝しました。

サドルが茶色いのでどこに駐めても目立ちました。

チェーンがよく外れるようになったので、外れるたびに自分で戻していたら、いつのまにかすぐにチェーンを戻せるようになりました。

チェーンが詰まって走れなくなったときには、親切な人が立ち止まって必死にチェーンをはずそうとしてくれました。

自転車屋さんに修理に持ち込んだら、「代車貸そうか」と優しい声をかけてもらえました。

 

大学を出て引っ越すときにも、もちろん一緒に引っ越してきました。

急な坂を上り下りすることが増え、ギアも何も特別なものは何もない自転車を引いて、坂を上りました。

 

両親に「いい加減自転車新しくしなさい」と費用を渡されたのが少し前、

新しい自転車を検討しに動き出したのは先日のことです。

昨日(この時刻だとおとといですね)本腰を入れて検討を始めたところ、

今日(同じく昨日)の朝、突然、パンクしてしまいました。

 

自転車の購入を検討していたホームセンターに持ち込みましたが、

修理には日数がかかることや、タイヤの老朽化が激しく乗り続けるのが危ないこと、自転車がないと通勤できないことなどを理由に、買い換えを強行してしまいました。

 

仕事に関わるとはいえ、ゆっくりお別れができなかったのが悔やまれます。

万全の状態で一緒に過ごせたのは昨日が最後、同じ敷地で眠ったのは昨日の夜が最後です。

約10年間、足になって色々な場所に連れて行ってくれたこと、感謝しなければなりません。

お別れの前に自転車の写真を撮っていると、素敵なおばさまに「どうしたの」と声をかけていただきました。理由を話すと、「あらそう、お世話になっちゃったのね」と言っていました。

そう、10年間も「お世話になっちゃった」のです。でも、ホームセンターに引き取られていく自転車に、何の言葉もかけられませんでした。

 

私の手を離れ、知らない場所へ運ばれていく、パンクしたままの自転車のことを思うと、涙が止まりませんでした。

スーパーでストッキングを買ったのですが、相変わらず涙が止まりませんでした。ストッキングと一緒に刺身と揚げ物を買ってスーパーを出ると、新しい自転車はとても乗りにくく感じました。家について、一人泣きながら晩酌しました。

 

なくなって初めて気がつく大事なものってこんな感じか、と思っています。

とりあえずひとしきり泣いて、文章にしてすっきりしたので、今日は早く休もうと思います。