うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

一人酒の才能

あけましておめでとうございます。今年最初の記事です。

仕事の文章は全然書けませんが、自分のこととなると結構書けるので、これからも細々と書いていきます。

 

年末、何回か飲み会に出席した。忘年会というやつだ。

学生時代から飲み会には何回も出席してきた。初めて飲み会を経験したときには、周囲から聞こえてくる大きな笑い声とか、普段の様子からは想像も出来ない振る舞いをしている先輩の姿を見てとても驚いたものだった。

今はそういったことにも慣れてきて、会社関係のものはともかく、友達とのものには積極的に参加するようになってきた。しかし、飲み会の雰囲気に慣れてきて、気がついたことがある。

自分の話が全く出てこないのである。

同席しているメンバーが不愉快な振る舞いをしているとか、自分が嫌なことを強制してくるとか、そういうことはない。酔っている彼らを見ていると思わず笑ってしまうし、口数が増えた彼らの話を聞くのも面白い。が、自分の話をすることが全くできない。会社であったこと、普段どんな仕事をしているのか、どんなものに興味があって、どんなところが好きなのか……話そうとすれば話題はたくさんあるはずだが。

そもそも、酒を飲むと無口になってしまう。周りに楽しそうにしている友人がたくさんいると、それだけで安心してしまって、その輪に加わろうと思うことができない。今までお酒を飲んでいて一番楽しかった思い出が、自宅でPCゲームをしながらアップルシードルを飲んでいたことだと記憶している。お喋りもへったくれもない。ゲーム内のキャラが戦闘でうまいこと攻撃を避けているのを見てにっこりしていたことだけ覚えている(文豪とアルケミストというゲーム)。お酒に強い方ではないので、飲酒するときは頭痛や眠気を催さない程度に控えている。その時はいつもより少し多めに飲んだが、頭が痛くなったり気持ち悪くなったりすることなく、ふわふわとしたいい気分になれた。

こんな酔い方をするので、周囲が賑やかに盛り上がっている中で端っこの席で黙々と料理を食べていたり、スマホでゲームをしていると非常に落ち着く。話しかけられることがなくても、「周りがなんとなく楽しそうだから」というだけで落ち着いてしまうのである。

「こんな時くらいゲームしないでよ」と冗談半分にいわれたこともあるけれど、ゲームをしないと、ただ隅で楽しそうにしている友人を眺める人になってしまう。「周りがなんとなく楽しそうだから」という理由で落ち着いてしまうのは、どこかに「自分が会話の輪に加わることを強制されない」という安心感があるような気もする。自分が楽しく話をしなくても、酔った友人が好きなものについて話しているのを聞いているだけで楽しい。人の話を聞くことは、元から得意な方だ。「この場で話していい話題かな?」と考えるくらいなら、人の話を聞いていた方が楽だ。

飲酒してもテンションが上がったり、自分の話をしたがったりするタイプではないことと、普段から人の話を聞くことに徹していることが相まって、「自分の話をたくさんしてもある程度は許容される場所」においても自分の話をすることができなくなっているようだ。このままでも自分に何か悪影響があるわけではないが、きちんと会話の輪に入ったり、楽しんでいる人たちと一緒に飲み会を盛り上げることができないのは、いいことではないような気がする。何よりも、ちょっとした愚痴とか、好きな物事について多少熱を入れて喋ることができる場所で話すことができないというのは勿体ないし、他の人に自分について伝えることができないというのは致命的である気がする。

どんな楽しい経験をして、そのどこが印象に残っているのか?

嫌な出来事のどこがどんな風に嫌だったのか?

そういう、自分の感じたことを「文章ではなく、口で、言葉で」表現できないのは、やっぱりダメな気がする。

 

文章がまとまらないので、今日はここまで。