うらにわのリター

もう少し上手に生きたい(˘ω˘)

サインに気がつく

学生時代、大学に行けなくなったことがあった。

というのも、特別何か大きな出来事があったわけではない。宿題をやるのを忘れていて、その日講義に出席したら咎められるんじゃないか……と思ったのがきっかけだったような気がする。

半年ほど講義に行かない時期が続き、半年後にはちゃんと講義に行くようになった。行くようになったきっかけはある。親がそれほど心配してくれなかったからである。正しくは、父親がお金のことしか心配していなかったからである。お金をかけたのに、その分の講義を受けないとはどういうことだ!というのが彼の言い分である。ア、半年もブランクができた私の事なんてどうでもいいんだ~と吹っ切れてどうでもよくなり、講義に行くようになったのである。

 

大学を卒業して新社会人一年目。学生時代のようには過ごせないし、なんといっても生活費がかかっている。なんとなく、で休むわけにはいかない。毎日仕事に行って仕事をしている。お世辞にも賑やかな場所とは言えない土地なので、周囲には「車を買ったら良いのに」と言われ続けている。でも、払い続ける税のことを考えると今車を買うのは得策ではないように感じる。

そんなわけで、未だに自転車で移動をしている。言わずもがな雨の日は外出が難しい。徒歩圏内にはこれといって何もない。はっきり言って、学生時代よりも寂れたところに来てしまった。

そもそも志望はもっと栄えたところで働くことだったのだけれど、どこにも採ってもらえなかったし、採ってもらえるまでがんばる気力は私にはなかった。そんなわけで、寂れたところで働くことになった。車買え買えとしつこく言われることに目をつぶれば人は優しいし、残業はほとんどないし、いいこともある。ただ、同年代の人間が職場に全くといって良いほどいないし、キャラが違う人たち……趣味で創作活動をしたり、映画をみたりするというより、スポーツをしたり色々な人とお酒を飲んだりする……そういう人たちが多いので、孤独感がある。

 

「今日コンビニ行ったらいつも食べてるスープがなくて。どうしようかと思ってカップ麺にしちゃったんだけど、食べてたら先輩にめちゃくちゃいじられた」「職場で思うことがあるんだけど。どんなタイミングで言い出せばいいのか分かんなくて全然言えない」みたいな、どうでもいい、愚痴未満の話が出来る人が誰もいない。私は親ともあんまりうまくいっていないし、彼らの愚痴を聞いているのはとても嫌な気持ちがするので、彼らに話すという選択肢は選びたくない。

 

学生時代、大学に行けなくなる前、自分が何に対して辛いと思っているのか分からなくなったり、自分が毎日食事を摂ることがおこがましいと思うようになったりした。先日、「自分が食事をしていいのかな?食事を摂る意味って何なのかな?」と少し思ってしまった。その日、スーパーで大好きなお総菜を見つけて食べて満足したので、まだ限界ではない、ということだと思うけれど。何が辛いのか分からなくなる前に残しておこうと思う。